8月11日、東日本大震災から半年が経ちました。 昨日も各マスコミは被災三県の現在を報道していました。 私も8月の24,25日に機会を得たので、中通りと称される福島市と 浜通りになる相馬市へ行ってきました。 福島市、普通の県都に見えました。 相馬市へ向かう途中の山間の道路は復旧の作業員のほかは私達が見かけてのは、たった一人の村人でした。昨年までの夏休みなら賑わっていただろう閉鎖中の子供の村、家々の庭先には洗濯物もなく、間もなく刈り入れであろう稲穂がただ残暑に照りつけられています。 相馬の「松川浦」、ここは東北一といわれた海水浴場です。 立派な旅館の一階がぐちゃぐちゃになり、廃墟のようだったり、土産物屋らしき家は水没したまま、民家も修復ままならず空き家です。あちこちに車や船の未回収状況が当たり前のような状況でを見るに胸が痛みました。 夜、福島県中小企業家同友会の例会にお邪魔し、被災企業の社長さんたちの復興再建談を聞くにつけ、何時かは来るといわれている「東海地震」に思いを馳せました。 ホテルへ帰る前に寄ったスナックのマネージャーの言葉が印象的でした。「浜通りより中通りの福島市、二本松市、郡山市のほうが 放射能は強いんだ!ここら周辺の村は子供と母親たちが疎開 してるもんで、まるでゴーストタウンになっちまって・・・・」 私は大臣ではないので現地のひとの言葉そのままつたえますネ。
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